本イベントは、シタール演奏にのせて、小川国夫文学『ハシッシ・ギャング』と『弱い神』を朗読する会。
小川文学を朗読する、わかばやしめぐみ氏(左)と桑原延享氏(右)
第一部『ハシッシ・ギャング』

ライスペーパー代わりの歴史年表を携えてヤク(ハシッシ)仲間のいる清水港へと向かうシーンでは、静岡の海辺の夜の闇の質感がその匂いをともなって浮かび上がり、りさ子の声を追いかけて主人公の“私”と木南が滋賀県に出向いた先で犬に吠えたてられるシーンでは映画『白昼の幻想』(※1)さながらの目に突き刺さるような真っ昼間が浮かび上がったのです。
小川国夫さんが「傾聴することについて、この小説で語り切りたかった」とおっしゃっていた「ハシッシ・ギャング」は、声に出す“朗読”の形に非常に適した作品なのではないかと思いました。
※1:『白昼の幻想 The Trip』1967年/製作:ロジャー・コーマン/出演:ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー/脚本:ジャック・ニコルソン 小川国夫さんが新聞紙上でこの映画を取り上げて青年の哀しみについて書かれたことがある
第二部『弱い神』

またすべてが会話という“声”の描写から成立させている原作『弱い神』が、“朗読”という形で実際の“声”をともなう会話劇となった時に、そこで何が伝わり何が伝わらないか、何が表現できて表現できないか、という境界を探ることができた気がしました。これは、普通の感覚で考えたら簡単には手を付けられないだろう大作『弱い神』に対して果敢に挑まれた演出家はじめ役者・演奏者さんたちの実験精神の賜物ではないかと思った次第でございます。それで、僕もちょっぴり『弱い神』が映画になったらどんなものになるだろうなどと、非常に危険な想像もしてしまったわけでございます。


第三部 小川国夫さんを語る。

小説家・香納諒一氏(右)と演出家・プロデューサーの仲田恭子氏(左)
朗読の後は、小川国夫さんの映像を観ながら小説家・香納諒一氏と仲田恭子氏のトーク会。以前、香納さんが出版社の編集者として働いておられた時に小川国夫さんと関わられた思い出から浮かぶ小川国夫像が語られ、僕が特に面白いと思ったのは「小川国夫氏の思考のペースがいかに人間離れしているか」というところ。それは思考の速さといったものではなく、むしろその逆で、30年前に抱いて解決できずにいた疑問が、ある日ふとその答えが出て、それを居酒屋の片隅でポツリと言っていたといったようなもので、でも、それは思考の遅さということでもなくて、人間離れした思考の“道草”の果て、何度もためらわずにもの草して、幾重にも螺旋した思考の重さの中からポツリとありふれた答えが出るといったようなもの。それは“答え”というよりも“声”に近いものではないか、それがそのまま小川文学、例えば『弱い神』として表出しているのではないかなと思ったのです。その疑問の大きさ、そして、“疑問すること”にためらわない姿勢こそが生のさ中にいるということなのではないかと。
…かくしてご盛況のうちにイベントも終わり、その頃、渋谷246号線沿いの喫煙所では…

さて、この『傾聴の会』、7/6(火)に乃木坂でも開催されます。ご興味ある方はどうぞ!
7/6(火)19:30start(開場は開演の30分前)
イベント詳細:http://www.delta-movie.com/html/event.html#0621
会場:乃木坂コレド シアター http://www.tc-coredo.join-us.jp/
(Photo by 与那覇政之)